Ζ覚書、とりとめのない追記。



 結局カミーユ、人間大好きなんだよなぁ。
 大好きだから色々期待しすぎて失望して怒ってっていう。
 人間が好きだから、自分をちゃんと見てくれない、名前や外見や肩書きだけで判断して決めつけてくる、ちゃんと話ができない相手が嫌い。
 だから反発して、ちゃんと自分を見ろって叫ぶ。その方法が乱暴だから、結局周りに理解されなくて、余計に不満が溜まるという悪循環。
 だから本当に、敵を殺すのが辛くて苦しくて、でも今逃げだしたら、投げ出したら今まで戦ってきたことも殺してしまった命も全部無駄になっちゃうって思ったら戦い続けるしかなくて。
 その気持ちに誰かが気付いていれば、許していれば、それだけで救われたと思うんだけどなぁ。


 ジェリドがカミーユのライバルになれなかった理由を4話ではカミーユがジェリドを相手にしていないからだと書いたけど、もっと言えば、カミーユが誰のことも「個人的に」憎んでいないから。
 だからジェリドに母親を殺されてもフォウを殺されてもジェリド個人を怨んではいなかったからカミーユの怒りはその場だけで発散されて、その後も執拗にジェリドを仇と狙ったりはしなかったから、ジェリドとカミーユの間の確執はジェリドの個人的な怨みだけでカミーユ側には何もなかったから、双方ともに相手に大切な人を殺されているのに因縁めいたものがなかった。カミーユが憎んでいたのは「戦いを生む」「人の命を弄ぶ」「戦争を遊びでしている」「人の心を踏みにじる」人間で、誰か一個人ではなかった。
 シロッコさんは別格として、ジェリドのことは憎んでいなかった。


 カミーユは自分のことを「お兄ちゃん」と呼ぶロザミィしか見ていなくて、ロザミィを助けようとしていたから「強化人間のロザミア・バダム」が見えずに、同じく強化人間のフォウの姿が重なって見えた。
 地上で何回か戦っていたけど忘れてたしね。



 カミーユは割ところころ相手を呼ぶ時の敬称を変えるけれど、クワトロ大尉だけは一貫して「大尉」だった。 クワトロさんって呼び方はなんかかっこわるいというか間抜けな感じだからとか、そういう話は置いといて、それはカミーユも、クワトロに日常的な親しみを覚えず、「戦うしかできない人」だとどこかで感じていたせいではないのかなと。ベルトーチカが「戦争以外の世界では生きていけない人じゃない?」と言ったときに、アムロは「本質的には優しい人だ」とベルトーチカの発言を否定したけれど、カミーユは「あなただってカラバの一員なんだ。戦いを全く否定する訳じゃないんでしょ?」とベルトーチカに理解を求めた。
 エマやレコアに対する呼び方がさん付けだったり階級だったり安定しないのは、自分と相手の気分によって変わるからで、戦闘中でも相手のことを素で心配したり、思いやったりするとさん付けになりやすく、平時でも相手が「軍人の顔」をしていると階級で呼ぶ。
 ブライトやヘンケンは「艦長」か「キャプテン」でまあどっちも同じ意味だけど階級で呼ぶことは滅多にない。「艦長」は軍の階級ではなく、文字通り「その艦で一番偉い人」で戦闘に直接参加するわけではないから、戦闘中と平時で相手に対する気構えが変わることはないから。
 カミーユがアムロのことを「大尉」と呼ぶときはアムロと共に戦っていて、アムロが一流のパイロットだと素直に感じてその下について戦ってるときか、戦闘後にアムロに礼をいうときとかで、普段は会ったばかりの女といちゃいちゃして戦いから逃げている情けない大人ぐらいにしか思ってないからさん付けとか、そういう……。父親の不倫のこともあって、カミーユは女関係に潔癖になってたから、アムロに対して素直になれなかったとか、そんな感じ。だから本当に、ベルトーチカさえいなければ、カミーユは「戦いを怖がりながらも戦闘では活躍する」アムロになら悩み相談できたはずなんだけどね。ベルトーチカいないとそもそもアムロが復活しなかったんじゃないかとか考えると、どっちにしても相談できなかったことになる。
閑話休題。
 クワトロは普段からまったく「素」を見せないから、カミーユもさん付けができなかったのかなと。



11話~23話までの補足。

 1話~11話ラストまではずっと宇宙が舞台で、当然ながらそこには「敵」と「味方」しかおらず、「戦闘に巻き込まれる民間人」はいなかった。カミーユの両親は軍関係者だったし、そもそもカミーユの行動が原因で巻き込まれた。月のアンマンに入港していた時も港の入り口付近でどんぱちしただけで市街を巻き込む(カミーユ自身が市街に入って被害を目撃する)戦闘はなかった。テンプテーションは助けられたし、敵であるライラを倒したことで傷付きはしたけど、あの時も自分よりも強い相手との戦いで、自分より弱い相手を殺した訳ではなかった。
 それが11話のラストで一方的に敵を倒せる状況になって、その死をまじまじと見てしまって、そして「命溢れる」地球に降りた。「敵」と「味方」しかいなかった宇宙から、「無関係の命」がそこら中に溢れているジャングルに降りて、戦闘に巻き込まれた猿の親子にすら悲しみを覚えたカミーユは、「命を奪うこと」が怖くなった。それを誰にも気取られまいとしながらレコアを助けるために侵入したジャブローはもぬけの殻で、その後も「移動中に襲ってくる敵」を撃退しながらホンコンを目指していたカミーユの戦いにはやっぱり「敵」と「味方」しかいなかったし、それでも「敵パイロットを殺すこと」に疑問を抱いていたカミーユにとっては辛い戦いだった。それが16話でアムロの戦いを見て、「やっぱり敵でも殺すのはよくないのだ」とそう確信した直後にホンコンがサイコガンダムに襲われ、ただそこに居合わせただけの、暮らしていただけの多数の一般市民が巻き込まれ、街が焼かれ、サイコガンダムを倒すことも止めることも出来ずにただ「こんなところで戦うな」と叫ぶことしかできなかった。アムロが言うように街の被害を無視して最初から全力で戦っていたとしても、サイコガンダムをカミーユが倒せたとは限らない。それくらい強大な相手が街中で暴れて、ここで初めてカミーユは敵でも味方でもない、ただそこにいたというだけの「民間人の死」を、目の当たりにした。
 どんな理由であれ、自分で選んで軍人になった「敵」ですら、殺すのは良くないと悟った少年の前で、何も選んでいない、戦う力もない、逃げる暇すらなかった無力な人たちが、たくさん死んだ。
 そしてそれをやったのは自分で選んで軍人になったわけではない、記憶も名前も奪われ、戦うことを強制された一人の少女だった。
 カミーユはその少女を助けたいと思った。戦う苦しみから、人を殺す苦しみから、「今の自分と同じ」苦しみから、フォウを救いたいと思った。
 自分自身はその苦しみを背負って戦うことを覚悟したうえで、フォウだけは助けたいと願った。
 だからカミーユがフォウに対して吐き出した言葉は、「過去の自分」が抱えていた不満や怒りで、「今の自分」の苦しみではなかった。カミーユはそこからフォウを助けたいと思っていたから、自分の苦しみをフォウに打ち明けずに、フォウを戦いから遠ざけようとし、フォウはカミーユにお互いの居場所へ戻りましょうと言った。
 フォウは戦うことが不幸だとは思っていなかった。人を殺すことが苦しいことだと、知らないでいた。それは過去を取り戻すために必要な手段で、それ以外のなにものでもなかった。そう思うようにコントロールされていた。
 だからカミーユを「カミーユの戦場」へ送り帰すことに、なんのためらいもなかった。
 カミーユはフォウを救えないまま、自分と同じ苦しみを抱えた少女を助けられないまま、その思いを胸に抱えて、宇宙へ帰った。

 カミーユはフォウとのことを、誰にも話す気はなかった。フォウとのことを知っていて、同じ痛みを抱えていると知っていて、カミーユを心配していたアムロにすら、慰められることを拒絶していたカミーユが、フォウのことを何も知らないアーガマのクルーに、言えるわけがなかった。

 そして、フォウを失ったこととは別の傷。別ではあるがほぼ同時に抱えた傷。市街戦や人質救出作戦を経て、自分で背負うと決めた、「戦場で敵パイロットを殺すこと」に対しての苦しみは、誰かに打ち明けたかった、聞いてほしかった傷だ。
 これについての葛藤とかは前に書いたけれど、つまりカミーユは地上で敵を殺すことを己の罪だと思い込み、戦闘に民間人が巻き込まれて死んでいくのを、罪のない少女が存在を歪められて無理やりに戦わされているのを止められない己の無力さを思い知り、その苦しみを抱えたまま宇宙に上がり、その苦しみを分かってくれる人が誰もいない場所で戦い続けるしかなかった。
 同時期にいくつもの傷を抱え込み、感情を整理する時間もないまま、自分の傷を「打ち明ける」必要もなく、そのほとんど(自分より弱い敵パイロットを殺すこと以外)を分かってくれていたけど、素直に甘えることが、頼ることが出来なかったアムロから引き離され、「何も知らない」、まずは自分の傷を「打ち明ける」ことから始めなければならないアーガマに戻り、打ち明けられなくて苦しんで、諦めて。
 この時点でもう、カミーユは駄目だった。



カミーユの僕と俺の使い分け。

敬語の時=僕
ため口の時=俺
を基本として、

 相手に敬意を払っている時、年下ぶりたい時、良い子ぶりたい時、お兄ちゃんぶりたい時、弱気になっている時、後ろめたいことがある時などはため口でも僕になり、
 相手を否定したい時、大人ぶりたい時、強く主張したいことがある時、やさぐれている時、自棄になっている時、感情が高ぶった時などは敬語でも俺になる。
 この辺が複雑に絡み合って、一つのセリフの中に(話している間に感情が変化したり、どうしても主張したいことを言うときだけ俺になったりで)僕と俺が混在するという状況になる。


カミーユの人との接し方。

 あまり親しくない相手には、ほぼ相手が投げてきた球をそのまま打ち返している。
 だから、喧嘩を売られれば買うし、優しくされれば優しくするし、馬鹿にされたら馬鹿にし返すし、無視されたらそこで会話を終わらせる。
 かわしたり受け流したりオブラートに包んだりを一切せず、好意には好意で、悪意には悪意で返しているので、敵意剥きだしの相手とはどんどん険悪な雰囲気になっていくが、別にカミーユは相手のことを嫌っているわけでも、喧嘩がしたいわけでもなく、ただストレートに反応を返しているだけ。
 第37話、ダカールの日でベルトーチカが「不思議ね、あなたとこんなに静かに話せるなんて」と言っていたけど、あれもアムロのことで勝手にライバル視して、敵意剥きだしでなんか色々言ってきたベルトーチカに対して、「本当にアムロさんのためを思うならもう少し冷静に物事を見て行動したらどうか」という意味合いのことを敵意剥きだしで言い返していただけで、別にベルトーチカのことを嫌っていたわけではないから、ベルトーチカの態度が軟化すれば、カミーユ側もそれに倣う。
 カツに対しても、自分との扱いの差やサラのことでカツが勝手にライバル視してきたからつっけんどんな態度になってただけで、別に嫌ってない。(精神的に追い詰められてて、平気な振りをするので一杯一杯でカツの相手までしてられなかったっていうのもあるけど)

 ある程度親しくなると、相手が投げた球が悪意だったり無視されたりしても、まずは我慢する。我慢して普段通りに振る舞って、それでも改善されないと切れる。
 カミーユからすれば、「自分はこんなに我慢してたのにどうして気づいてくれないんだ!」って怒りだけど、相手からすると、「え? 今までなんにも言わなかったのになんでいきなり怒ってんの?」ってなる。
 自分が思っていること、特に寂しさや不満を口に出すのが苦手だから、「女の名前だとからかわれるのがいやだから」「男の証明を手に入れるために」空手をやったりホモアビスもやったりモビルスーツも作ったりした。直接相手に不満をぶつけずに、そう言われないような人間になろうとした。
 いやまあ、口で言えって話なんだけど、子供のころから一人でなんでも出来て、「カミーユは良い子だからお母さん助かるわ」とか言われて甘えさせてもらえなかったりすると、ちょっとのわがままも言えなくなる。
 そうしている間に段々と親が不仲になっていっても、良い子にしてれば両親の仲も改善されてちゃんと親をやってくれるようになると思って我慢して我慢して我慢してるのに父親は外で愛人作って母親は仕事に逃げて家庭をかえりみなくて一人ぼっちで耐えてればそりゃ爆発する。それまで本当に我慢していたので、爆発してからなんとかしようと思ってももう手遅れってくらいまで拗れまくっててどうにもならなかったりする。それが第1話の状態。



第37話 ダカールの日

 今回の戦闘の目的はあくまで「クワトロの演説を世界に送る」ことなので、ここぞとばかりに「敵を殺さない」戦いをしようとするカミーユ。
 こんな時しか出来ないからね。
 この時のベルトーチカやカミーユの言葉に感化されたティターンズの兵士、アジス・アベバが矢尾さんだったからジュドーの声は矢尾さんになったんじゃないかなぁと個人的な妄想。

 ちなみにこの時カミーユは、自分がティターンズのモビルスーツを撃つことを躊躇ったせいでティターンズの兵士に味方殺しをさせてしまったと余計な傷を負いました。
 敵を討っても討たなくても結局傷付くというどうしようもなさ。



第11話 大気圏突入補足

 カミーユの部屋が暗かったのはこれから寝るところだったと書いたけど、つまりはカミーユとファの会話を薄暗い部屋でしたいという演出上の都合に合わせるためにこの時のカミーユが部屋を暗くする理由を探したら「寝るため」という理由しかなくて、しかも服を脱いで後ろの収納にしまうとか、ベッドから起き上がるとかの動きを入れる尺的な余裕がなかったせいで「ドアを開けたらタンクトップ一丁のカミーユが薄暗い部屋の中で突っ立ってた!」っていう無駄にインパクトのある構図になってその後のシーンが台無しになったという演出失敗例。
 普段カミーユは寝るときでも照明消してないとか突っ込んではいけない。本当にカミーユが部屋を暗くする理由がこれしかなかったんだからしょうがない。
 つまりはただ単に演出のために部屋を暗くしたいって場合でも「カミーユがそれをする理由」がきちんと設定されているってことで、一見して意味が分からないカミーユの言動にもちゃんと理由があるということの証明。
 ただその理由を説明することはなく、「何かを考えた結果としての行動」だけを描写しているので分かりにくい。



カミーユの部屋の描写について

 空を飛んでいる軍艦(アウドムラ)の窓は「中から外を」見るためのもので外から中の様子を覗くものではないから、カーテンがなくても気にならなかった。それが、19話でミライ親子の乗った小型機を見送った時に、「この窓は外から中を覗けるのだ」と気がついて、覆いをせずにはいられなかった。
 この時のカミーユにとっては部屋の中は「自分の居場所」だったから、カーテンを付けるという行動に自分の中を覗かれたくないというカミーユの心情が表れていた。

 しかしストーリーの後半、カミーユの部屋の描写はあまりされなくなった。
 前半はカミーユの心情が変わる度に部屋の様子に反映させて見せていたけど、後半はカミーユが自分の気持ちを表に出さなくなって、無自覚のSOSすら発するのをやめて、部屋の中ですら素の自分を出さなくなったから、カミーユの心情で部屋の様子が変わることがなくなって、見せる意味もなくなったから。
 何話だったかで日記を書いていたけどあの時だって当たり障りのないことしか書いてなかったしね。
 自分の痛みを誰かに分かってもらうのを諦めて、周りが思う、周りが望む「ニュータイプのカミーユ・ビダン」を演じていた。
 48話で分かってきたと言っていた、自分の役目を果たそうと気を張って、ずっと本心を押し隠していた。ぶっちゃけカミーユは11話以降はどんどん悪い方向に向かって行っていて、23話で初めて自分の意志で言った「助けて」の言葉が届かなくて、その後はもう誰にも何も言わなくなって一人で抱え込んで傍から見れば安定した状態だったカミーユはいつ死んでもおかしくないくらい精神的に追い詰められていた。
 Ζの結末を知らずに再放送で観ていた時の私には、カミーユに死ぬ以外の未来があるなんて思えなくて、アニメの主人公だから死んでないだけでサブキャラだったらとっくに死んでただろこれと本気で思っていた。
 カミーユ死ななくて良かったね! 壊れたけど、ΖΖで回復して良かったね!



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